バスケットボール始めました。
中学に入学した村崎少年は早速、ワクワクと期待しながらバスケットボール部に入部した。
バスケは5人プレーだが同じ学年の入部者は13人位はいたと思う。非常に笑える。別にバスケの強豪校でもないのに正直多すぎた。
二つ上の先輩はすぐに引退になる。
一つ上の先輩らは4人しかいないので全員自然とレギュラーだったと思う。正直羨ましいと思った。
顧問はI先生という熱血指導者でいちいちリアクションが大きい。怒りのボルテージがMAXに達すると地面に吸い込まれるように寝転がって「〇〇何やってんだよー」と激しく言ったり、ややこしい動きをしながら近づいてきてわめきちらすなど、常に何かにつけてやかましい。
そして結論から言えば、レギュラーにはなれずDEAR BOYSとは程遠い補欠のバスケ生活を送っていた。正直何も楽しくなかった。
好きこそモノの上手なれというが、本当に好きなら補欠でも何でも夢中になれるものだ。
でも、実際は夢中どころか部活に行くことが苦痛で、それでも上手くなるためだと言い聞かせてどちらかといえば嫌々行ってる状態だった。
もしかして一つ上の先輩達も最初は大人数だったが最終4人になってしまったのではないかと錯覚するほどつまらない。
そのまま月日は経ち、中学二年になった。でも部活は相変わらずつまらない。
ちょうどその頃、兄はコピーバンドでギターを担当して音楽活動していた。第二次バンドブームの世代である。
この時代の兄は「COLOR」「デカメロン」「かまいたち」「しいもんきい」「BILLY & THE SLUTS」「ジョリーピックルス」など「COLOR」のDynamite Tommyさん率いる いわゆるFREE WILL系や、
「X」「東京ヤンキース」「LUNA SEA」「LADIES ROOM」「GLAY」「Gilles de Rais」「ZI:KILL」など「X」のYOSHIKIさん率いるいわゆるEXTASY系、
その他には「ZIGGY」、「D’ERLANGER」、「JUSTY-NASTY」、「AION」、
パンク系では「THE STALIN」やパンク時代の「THE MAD CAPSULE MARKET’S」
洋楽はパンク系では「セックス・ピストルズ」
その他に「メタリカ」「メガデス」「ANTHRAX」などいわゆるスラッシュメタルといわれるものなど、ここで全て紹介できないくらい色々な音楽をよく聴いていた。
もちろん村崎少年もこの兄の影響で、上記のバンド音楽を聴いていた。この歳で自力では絶対縁していない音楽なのでマジで兄には感謝している。
ただ、どうしても洋楽のロック系全般、あまり好きになれなかった。邦楽のロック系とは違って変に濃い感じが何か無理だった。
例えるなら、同じ車種の国産スポーツカーでも外国人のいじり方のほうが外観や色遣いが何か濃いな〜という感覚に近いだろうか。※あくまでも個人の感想である
しかし「ANTHRAX」の「Bring The Noise」という曲は大好きであった。「Public Enemy」というヒップホップグループと共演し、ラップとメタルが融合したミクスチャーの先駆け的な楽曲で、
ラップと重い音のラウドロックという音楽スタイルが自分の好みであるというのが、分かった楽曲である。
そしてさらにハードコア要素が入った音楽が好みだと気付くのは約2年後の高校二年生くらいからになるのだが…。
そこに達するまでの14歳のころは主に『かまいたち』や『しいもんきい』などFREE WILL系を聴いていた。
意外にも同級生で女子のM.Mさんも『かまいたち』にハマっていることを知って驚いた。