村崎幼年から小学校卒業まで
眩しい太陽の光。私一人だけ眩しさに耐えられない表情の保育園集合写真。この時に出会ったこの保育園近くに住む同じ保育園で同級生のM.Y氏とはいずれ思わぬ形で再会するのだが、そんな事は知らずに保育園で昼寝している村崎幼年。
地元ではない地方に居住してきた関東と関西出身の両親の元、一般家庭で生まれ育ってきた。
もちろん偉人伝で例えば坂本龍馬氏の話であるような、生まれた時から背中にたてがみのような毛が生えていて龍馬と名付けられたとかというような目立ったエピソードは特にない。
この時に知っている音楽はおそらくじゃじゃ丸、ピッコロ、ポロリ~ってな感じでおかあさんといっしょやガチャピンチャレンジでおなじみのひらけポンキッキで流れる音楽とかでロックなんてものは知らない。この当時ロックでピンとくるのは唯一ホネホネロックだけだろうか。
もちろんこの当時バンドなんてものに一切興味なんてないし、今となってはあまり先生とかも覚えていない。しかし、水疱瘡になった記憶はある。
この当時の事を思い出すと後にカタギに戻るが、極道の道へと進んだ同級生K.H氏が持って来てはいけないと言われていたおもちゃを持って来て遊んでいて、私は先生に怒られないか少しヒヤヒヤしていたのが印象的で脳裏に浮かぶ。
そしてこの時に出会った同じ組のM君は一度家に遊びに行かせていただいた記憶もあるが、小学校は別々なのだが、小学生の時に深い上流の川で亡くなったと聞いてショックを受けた事を思い出した。
そんなこんなで、二年保育を得て小学校に入ったが、低学年の記憶はあまりない。しかし通学路にあった地面の水たまりで泳いでどろどろになって遊んだ記憶はある。
小学低学年くらいは、同じ団地内の幼なじみ達とよく裏山で遊んでいた。裏山に入ると肌がかぶれる原因となっていた漆を見つけては敵視して破壊していたので毎度顔面がかぶれて母親からはこっぴどく叱られていた。
他にはその山から流れてくる山水をそのまま飲んだり、野イチゴを食べたりなど結構野性的な幼少期~小学低学年だったと思う。
小学校5~6年と高学年になってくると同い年で幼馴染の「かっちゃん」ことK.K氏の影響で光GENJIに興味を持っていたと記憶する。
うろ覚えだが、ローラースケートを親にねだって買ってもらって当時テレビで光GENJIのローラースケート講座みたいなものがあったのでそれをみながら、K.K氏主体で特に発表する予定もなくがむしゃらに光GENJIのローラースケート技を練習していた。
「ガラスの十代」とか「パラダイス銀河」とか覚えて口ずさんでいた。その時期くらいに同じ番組かは忘れたがSMAPがスケボーを乗っていた記憶がある。
他にもK.K氏とは、親が持っていた録音機能付きカセットテープのカラオケ機械でラジオ番組の真似事をして録音して遊んでいた。そのコンビでの番組名は”むらきむ情報ー”
今思えばこの頃からエンターテイナー的な事が好きだったんだと思う。
この頃は他にもキャプテン翼に憧れて、スポーツ少年団でサッカーを習ったり、兄の影響で漫画を書いてみたり、兄が読んでいた湘南爆走族の漫画が好きで読んでいたりしていた。
ちなみに湘南爆走族の実写版は主人公の江口洋助役は江口洋介さん、石川晃役は織田裕二さんだった。村崎少年は湘爆の巾着バックを購入し大事に使っていた。
そういえば湘南爆走族で思い出したのだが、この漫画を知っていた当時の友人M.T氏は自宅敷地内なので問題はないと思われるが、小学4年生でGAGというバイクを乗りまわしていた。
後に村崎少年高校時代に久々に再会した時M.T氏はCB400 SUPER FOURに乗っていた。地元の暴走族の4代目総長をしているとの事だった。
なんか小学、中学とアウトロー街道を突き進んできた彼の生きざまがブレてなくて尊敬の念を抱いた。事の善悪は抜きにして、世間から何と思われようとも自分の信念を突き通す姿ってのも大事だよなって事を学んだ。
少し話は脱線するが、学生時代は一般的には社会のクズなどと毛嫌いされるであろうアウトローから学ぶことは多かった。
身の保身を考えながら勉強が出来ない者を見下し、ズル賢く生きる勉強ができて頭が良いと言われる連中より、確かに悪い事はするが、時に相手がやくざであろうが圧倒的に不利であろうが自分の信念を貫き仲間を守るために身を挺して立ち向かうアウトロー。
世の中には色んなアウトローがいるのであまり綺麗に書くつもりはないが、少なくともこの時の私の知り合ったアウトロー達は敵対すると危険だが、芯は身の保身のための世間体など気にせず、相手が誰であろうが筋の通らない事が嫌いで仲間を大切にする本当の意味での善人だったと思っている。
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