プロローグ

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立弦ストーリーって何?

村崎立弦村崎立弦

はじめまして。村崎 立弦です。
まずは簡単に自己紹介をさせていただきます。

2022年現在、40代半ばのおっさんです。
既婚。子供はもう大人ですが二人います。

高卒で1回転職しましたが、昼間はずっと地元で製造業の正社員として働きながら、ライフワークと確信して夜と休日に音楽活動を中心に天才エンターテイナー/クリエイターとして活動しています。

村崎立弦14歳(中学二年生)の時。

第二次バンドブームの時代でバンド活動していた兄の影響を受け、漫画「DEAR BOYS」に憧れて入ったバスケットボール部をフェードアウトし、押し入れに眠っていた父のクラッシックギターを引っ張り出した。

残りの中学校生活は卒業まで睡眠時間も削りほぼ独学でただひたすらギターの練習に明け暮れた。正に中二病を発症してしまった世間からみればかなり痛々しい村崎少年。

この時に後にドラムとして活動する同級生のH氏と出会った。高校は別々になったのでお互い縁が薄くなってしまった。

高校に入ってからはバンド活動というか病的にライブがしたくて我慢できず、おそらくかけもちではなかったと記憶しているが2つのコピーバンドを経験した。

一つは同級生の友人を紹介してもらい集まったメンバーで、この時に中学の同級生H氏にドラムをしてもらった事がある。

もう一つはどちらかと言えばこちらがメインとなるが、半ば強引に同級生に声をかけて、ギターにはまったギターオタク1人、それぞれの地元で有名なヤンキー3人という各自色んな経歴を持つ4人で結成した「Hi JACK」というバンド。

それぞれ公民館やスタジオを借りたりしながら練習し、兄のツテで当時JAホールで開催されていた地元では知る人ぞ知る有志バンドのライブイベントに参加させてもらい、ライブの夢が叶った瞬間の自称軽音楽部の村崎少年…。

ライブの夢が叶った中二病患者の村崎少年(写真のギターは兄から借りたエドワーズのもの)

高校生活はカバンよりも主にHi JACKのドラマーがくれたレスポールモデルのギターを抱えて通学。三者懇でその姿を担任教師にネタにされるほど、正にギターを抱えたアホウドリ。

高校野球などのような華々しさはないが、なんせ最高のメンバーで毎日が新鮮で楽しく青春だった…。

高校卒業でそれぞれの道がありバンドは解散。中二病患者、村崎少年は18歳になっていた。もはや村崎青年である。

食品製造会社に就職したてだったので早出・残業等もあり音楽からは少し離れた生活を送っていた。

学生時代と違ってお金もあるからしばらくはそれなりに楽しかったが、毎日がなんか消化的、刹那的に年をとってただ死を待つかのような同じことを繰り返すような日常に思えて、生きることに虚無感を感じるようになっていた…。

生きる意味を考えて結局自分には音楽しかないと素人の寄せ集めではあるけど新しくバンド「SMILE BALL」を結成し、曲作りを開始した村崎青年。

その後、偶然にも中学時代の同級生H氏と21歳くらいに一度再開を果たした。そんな彼から上京しガチでバンド活動をしていたと言う事を聞かされた。村崎青年の中で何かが弾けた瞬間であった…。

音楽活動が好きであったが、”音楽で成功するなら上京するしかない=人生の賭け” という時代背景で失敗を恐れ安定した生活を第一に考えて正社員として就職した村崎青年、失敗するリスクを恐れず己を信じて夢を追いかけて上京し、全力で音楽活動をしたH氏。

どちらが正しいかは今となっては正直わからない。

しかし、同じ時期に兄から言われた「素人を集めて教えながらバンドやるより、上手い人を募集してバンドやった方がいいと思うけどなー。」という言葉も心にひっかかっていた…。

行動が中途半端なのに気持ちだけはあるって本当に好きって言えるのか…⁉自問自答を繰り返した。

それから月日は経ち、2022年で村崎青年も気付けば40代半ば。もはや青年ではなく中年である。

家庭を持ったり、色々な出会いから刺激を受けたりして、最終的にはライフワークとして村崎 立弦としてソロ活動をする方向に定まった村崎中年。そしてその裏側には色々な奇跡や逆転劇があった—

そんな立弦ストーリーを自伝的に1冊の書籍のように書いていきます。
微力ながら立弦ストーリーがあなたの活動のヒントとなったり、何かのお力になれば幸いです。

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